カテゴリー「音楽夜話■この1曲を聴け!」の28件の記事

2010年9月 8日 (水)

懐かしのバンド・ストーリー レッド・ツェッペリン(3)

4枚目のアルバムの大成功はバンドを絶対的な存在にのし上げていった。彼らは70年代のロック界のスーパースターとしての揺るぎない存在となった。次に発表したアルバム「聖なる館」はその衝撃的なジャケットもあってチャート1位を疾走する。

今までの彼らの多様な音楽性をこのアルバムで更に発展させたが、9/8拍子という踊れないファンクの曲を入れたり、レゲエ調の曲を入れたり、スローなナンバーが目立ったこのアルバムは、ハードなロックを期待したファンや評論家からは好意的な評価を得られなかった。

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そしてバンドの武器でありシンボルであったボーカルのロバート・プラントが、その頃に喉を痛め、以前のような大音量の高音が出せなくなってしまった。そんな状態でも、驚異的なスケジュールのツアーを敢行し続けたが、ギターのジミー・ペイジもそのプレイが雑になったと悪評もたったりと、彼らの疲労も激しさを増していった。

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そんなバンドの状態の中で、「聖なる館」に続く新たなアルバム制作が続けられていた。「フィジカル・グラフィティ」と名付けられたそのアルバムは、レッド・ツェッペリン初で最後の2枚組アルバムとなった。「聖なる館」で実験的な多様性を見せた彼らだったが、持ち前のヘヴィな音を取り戻し、レッド・ツェッペリンのピークとも言える作品となった。

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個人的にはトランプルド・アンダー・フットカシミールといった彼ららしいリフを繰り返すヘヴィな音づくりはここで頂点を極めたかのように思えた。トランプルド・アンダー・フットとかは、日本のBzとかもパクったり(失礼!リスペクトしたり)しているしね。Bzだけではなく、このアルバムから多くのフォロワーを生んだ傑作と言える。

Led Zeppelin - Trampled Underfoot

レッド・ツェッペリンのトランプルド・アンダーフットをリスペクトしたBzの曲。
B'z BAD COMMUNICATION (LIVE)

  

 しかし、彼らは徐々に終焉を迎えることになる。その後、ロバート・プラントの大きな交通事故を乗り越えたりしたものの、彼らのヘヴィーなリズムを刻んできたジョン・ボーナムが突然この世を去った

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彼は愛妻家であり、子供思いの良き父だった。そのためツアーが続く生活でホームシックになったこと、そして重度の飛行機恐怖症で深酒がたたり、吐瀉物を喉に詰まらせての窒息死であったそうだ。

失意のレッド・ツェッペリンは彼以外のドラマーはあり得ないとその年にバンドを解散した。メンバーチェンジを度々繰り返し続けた70年代を彼らと共に歩んだディープ・パープルとはまったく異なる道を歩んだ。1980年の冬のことだった。

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90年代に一世を風靡したニルヴァーナやパールジャムたちは、ツェッペリンを崇拝し、活動時期の時よりも多くのロッカー達に影響を与えた。彼らは時代に流されず、批判に従わず、常に自分たちの音楽をやり続けたことに多くのフォロワーを生んだのだ。

Led Zeppelin - Kashmir (L.A. 3/25/75)

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2010年9月 4日 (土)

懐かしのバンド・ストーリー レッド・ツェッペリン(2)

静岡県の某県立高校。
高校入学してふと入った美術部室。

そこには一人椅子に座りレスポールギターを抱え、弾いていた上級生がいた。
彼が弾いた「
天国への階段」に驚き、是非ギターを教えてほしいと頼み込んだ。中学時代は田舎の中学だったのでギター人口も少ないこともあり、一番上手かった(と思う・・)。だからこそこの出逢いは衝撃だった。

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3年生だったSさんは面倒臭そうにいやがったが、毎日彼がなぜか練習場にしていた美術部室(別に彼は美術部員じゃないと後で知ったが・・)に押しかけては、彼のギターを弾くのをみていたのでそのうちに徐々に教えてくれた。あのイントロから最初の部分くらいしか教えてくれず、「あとはレコード聴いて耳で覚えろ!」と言われた。当時は楽譜もろくにない時代。一生懸命耳コピをした・・。
「天国への階段」を聴くと、その頃を想い出す。放課後の夕焼けの染まる風景を。

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レッド・ツェッペリン 4作目のアルバムにはタイトルがない。4つのシンボルが書かれているだけだ。4つのシンボルが並んでいるから「フォー・シンボルズ」と呼ばれているが、通常はレッド・ツェッペリン4のが通りが良い。

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まさに変則的なジャケットには、メンバーの「文字による説明のない、音楽だけで勝負するんだ!」という思いが込められているという。(前作を酷評した評論家たちを困らそうという悪戯心もあったようだけど・・)実際、発売元はタイトルのないアルバムに困惑したが、その「名前のないアルバム」が評判となり、宣伝効果も高めた結果となった。

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レッド・ツェッペリンのアルバムの中で最も売れたアルバム(2300万枚)として、またロック史上の名盤として名高いこのアルバムは実はアメリカのチャートでは1位はとっていない。ちょうど同時期に、これまたPOP史上不朽の名作・キャロル・キングの「つづれおり」と重なったためである。

特にこのアルバムのA面は圧巻だ。(当時はレコードだったので)
独特のタイム感、ヘヴィ感あるツェッペリンらしい「ブラック・ドッグ」から始まり、まさにロクンロールという爽快なそのタイトルも「ロックンロール」。一変して女性フォークシンガーをフューチャリングしたアコースティックナンバー「限りなきたたかい」で雰囲気ががらりと変わり、4曲目にドラマチックかつメロディアスな名曲「天国の階段」で終わる。
まさに起・承・転・結の見事な構成だ。

Led Zeppelin - Stairway To Heaven (HQ)

天国の階段」は、レッド・ツェッペリンを代表する特別な曲になった。それまで「ハードロックの・・」とか「ブルースロックの・・」とかの肩書きが、彼らのバンド名の前にあったが、「レッド・ツェッペリン」こそが彼らの肩書きになった瞬間だ。

アイディア豊かなペイジによる印象的なギターリフと、広い音域に裏打ちされた響き渡る声量をもつプラントの歌唱力、そしてドラム・ジョン・ボーナムのヘヴィ感、グルーヴ感が、ツェッペリンの個性的な音楽を作り続けた。(もう少し不定期に続く)

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2010年9月 2日 (木)

懐かしのバンド・ストーリー レッド・ツェッペリン(1)

レッド・ツェッペリン号誕生。

鉛の飛行船(lead zeppelin)=墜落する飛行船と名付けられたこのバンドはザ・フーのドラマー キース・ムーンの口癖からとったもの、ところが、ツェッペリン飛行船の開発者の子孫から「勝手に名前を使われた」と訴えられた。その子孫は法廷で「金切り声を上げて飛び回る猿どもに、当家の栄誉ある名前を名乗らせるわけにはいかない」と発言したという。

そんないわく付きのレッド・ツェッペリンはわずかな時間でデビュー・アルバムを作成する。ヤードバース時代から培ってきたブルースをベースとする音楽性が発展、ブルース基調のギターリフ、そこにシャウトするヴォーカルが交差するロックというスタイルは発売当時「黒人音楽の遺産を食いつぶすいかさまバンド」とも酷評された。

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Led Zeppelin - Dazed and Confused (Supershow 1969)

しかしそんな評論家の酷評も気にならないほど、「乱痴気騒ぎな猿ども」はツアーでは圧倒的人気を呼んだ。続いて1969年に発売されたセカンドアルバムでは、時代の寵児「ビートルズ」の事実上の最後の作品となった「アビーロード」をけ落として、英米とも7週トップになった。ロックの頂点の新旧交代の象徴であり、まさにロックの時代が変わった歴史的瞬間だった。

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Whole Lotta Love (Live at Royal Albert Hall 1970)

圧倒的人気を呼んだ彼らの音楽は、ブルースを基調としながらも独特のタメやリズム感を持つバンドであり、またギター・ジミー・ペイジのアコースティック路線、ヴォーカル・ロバート・プラントのケルト音楽指向もあったりと、ロックというジャンルにとどまらない幅広い音楽性も特徴であり、それは3枚目のアルバムでより前面に出てきた。

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Immigrant Song / Led Zeppelin / 移民の歌

しかしそれは今までのツェッペリン音楽を求めていたファンの間で賛否両論を呼び、アルバムセールス的にはセカンドアルバムには遠く及ばなかった。しかし彼らは揺るがなかった。そして彼らにとって最大のセールになった不朽の名盤である4枚目のアルバム制作へと入っていく。(不定期に続く)

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2010年8月30日 (月)

懐かしのバンド・ストーリー レッド・ツェッペリン(0)

三大ギタリストと言う言葉がある。往年のロックファンなら知っている言葉だ。

エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ。

この三人の名前の順番には意味がある。
まずはヤードバーズの話をしなければならない。1962年にR&Bバンドとして5人でスタートしたヤードバーズは翌年にギターが脱退、そこにヴォーカルのキース・レルフの友人・エリック・クラプトンが加入する。(第二期ヤードバーズ)

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クラプトンはバンドをよりR&B色を強くし、ブルースをハイテンポかつ大音量で、しかも1曲30分以上もアドリブで演奏するといった、その後のクリーム(1966~1968に世界的に活躍したクラプトンを擁するスーパーバンド)を彷彿とさせるようなライブを行っていたが、サイケデリックな時代はまだ早く、彼らはヒットに恵まれなかった。

ヒット曲の欲しいバンドとしてはPOPな曲を発表、ヒットはしたがクラプトンの路線とは離れ、同時にPOP指向に嫌気をさしたクラプトンはバンドを離れる。その後釜に来たのが、ジェフ・ベックだ。彼のギタースタイルは当時から自由奔放で、POP指向のバンドにも合わせられる感性と奏法を持ち合わせていた。(第三期ヤードバーズ)

フィードバック奏法など、新しい試みをするベックが活躍する中、バンドの内紛でベースが脱退、そこでベックは友人のジミー・ペイジを新しいベースとして勧誘する。しかしペイジをバンドに誘ったベックも内紛からバンドを去ることになる。ペイジに「俺は辞める」と言葉を遺して。(第四期ヤードバーズ)

バンドを引き継いだペイジは新しいバンドのギタリストとして精力的にライブ活動を行うが、落ち目傾向にあったヤードバーズから一人また一人とメンバーが脱退していく。困ったペイジは、新しいバンドメンバーを探すがなかなか難航する。そんな中、かつてのセッション仲間だったジョン・ポール・ジョーンズと再会、盟友として組むことになる。

また新しいヴォーカルを探していた時に、ちっぽけなバーミンガムのライブハウスで唄っている無名のシンガーを教えてもらう。早速ペイジは聴きにいき、「金儲けがしたいか」と誘い、一緒にバンドを組むことになった。ロバート・プラントとの出逢いだ。プラントは新しいドラマー・ジョン・ボーナムも紹介し、バンドに加入することを勧める。

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しかし、執拗に断り続けるジョン・ボーナムに業を煮やしたプラントは、「いいからお前はこのバンドに入るんだ!」と叱責して加入が決まる。第五期 新しいヤードバーズの活動が開始した。彼らは再びツアーを開始する。そしてスカンジナビア・ツアーが終わった時点で、ツアーの途中に彼らは突然ヤードバーズという名前を捨てた。

新しいバンド名は、レッド・ツェッペリン。

伝説はここから始まる。

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2010年8月24日 (火)

懐かしのバンド・ストーリー ディープ・パープル(3)

アルバム「マシンヘッド」が記録的な販売を続ける中、バンドは過酷なツアーが始まった。その日本公演を収録した2枚組「ライブイン・ジャパン」も大きなセールスをあげ、バンドはまさに世界のハードロックシーンの頂点にいた。しかし、過酷なツアーとレコーディングがますますメンバーの不仲と溝を深めていった。

「マシンヘッド」の次のアルバム「紫の肖像」はそんな中で作られたが、最後はドラマーのイアン・ペイスがまとめてミキシングし、とりあえず出したような形で、前作の魅力は無くなっていた。そしてバンドの修復も難しいと判断したロジャー・グローヴァー(ベース)が脱退を表明した。

バンドの2枚看板、ギターのリッチ・ブラックモアとヴォーカルのイアン・ギランの確執も悪化し、イアン・ギランはマネージャーを通して脱退宣言。同時にリッチもドラマーのイアン・ペイスを誘ってバンドを抜けるつもりだった。しかしバンドの成功をみすみす失うのはもったいないと、イアン・ペイスとジョン・ロード(キーボード)に説得され慰留となる。結果的に、リッチはヴォーカルのイアン・ギランが抜けたので、そこは納得できたと思うが。

第3期のメンバー探しは最初にベース兼ヴォーカルのグレン・ヒューズが決まり、そのあと4000人のオーディションで無名のヴォーカル、デヴィッド・カバーデイルの加入が決まった。そしてこのメンバーで作られたアルバム「紫の炎」は、コメントの少ないリッチ・ブラックモアをして「納得の作品」と言わしめ、名曲とも言えるアルバムタイトル曲、そしてバンド解散後も、メンバーそれぞれに歌い継がれていった「ミストゥリーテッド」もある。

この作品がハードロックの雄としての「最後のアルバム」というと他の人に叱られるかも知れない。次の「嵐の使者」ではハードロックの色も新メンバーの影響でファンキーテイストも加わって、やがてバンドの主導権をもっていたリッチも脱退。新しいギターのトミー・ボーリンも加入するが、以前の輝きを失い、バンドは解散へと進んでいった。

クラシックとの融合を図ったロックは、「インロック」でハードロックというジャンルを確立し、「マシンヘッド」でそれは世界に花開き、彼らは「紫の炎」で美しく燃えた。この3枚こそ、ディープパープルの軌跡だと思ってる。(おしまい)

紫の炎(BURN) 1974年リリース

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紫の炎(BURN)
最近ではTVCMでもお馴染みのこの曲。リッチのかっこいいリフとともにカヴァーデイルとヒューズのWヴォーカルはソリッドでまさにハードロックという名曲。

「ミストゥリーテッド」
まさにハードロックの佳曲。ハードロックの嫌いな人もこの曲は意外と入れるのでは。ディープパープル解散後も、元メンバーによって歌い継がれているという珍しい曲。

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2010年8月23日 (月)

懐かしのバンド・ストーリー ディープ・パープル(2)

インロック」の成功で、バンドの楽曲製作の主導権はジョン・ロード(Key)からリッチ・ブラックモア(Gui)へと代わった。そして第2期ディープパープルはハードロックバンドとして黄金期を迎える。とはいえ、「インロック」の次のアルバム、「ファイアーボール」はインロックの影響で売れたが、内容的にはインロックには及ばなかった。

ハードスケジュールとアルバム製作に充分な時間を得られなかった反省を残し、次のアルバム製作に取り組んだが、ここで大きなアクシデントが発生する。アルバム製作用に使用予定だったカジノで、その直前に行われたフランク・ザッパのコンサートで熱狂したファンが天井を発泡、カジノは火災となり全焼してしまったのだ。

録音場所を失ったディープパープルは、使用していないホテルのフロアを借りてスタジオ録音を決行。悪いことばかりでもなく、この火災の出来事をイメージにした曲、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、リッチの印象的なギターリフはあまりにも有名、今なおプロアマ問わずに数多くのバンドはこの曲をカバーしている。

そして完成したアルバム「マシンヘッド」はまさに第2期ディープパープルの到達点であり、ロック史に残る名盤となった。彼らはハードロックの代名詞となり、全世界でのコンサートツアーと次のレコーディングとの過酷なスケジュールで、その人気とは裏腹に、バンドの中では不調和音が高まっていった。(続く)

マシンヘッド(1972年)

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Deep Purple - Highway Star

Deep Purple - Smoke On The Water

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2010年8月22日 (日)

懐かしのバンド・ストーリー ディープ・パープル(1)

ディープ・パープル。1968年デビュー。
デビュー当時は、クリーム・ジミ・ヘンドリックスといったブルースを基調とした大音量のサイケなサウンド(ゆくゆくはハードロックと呼ばれる)にクラシックの音楽性を加味した独特のサウンドで3枚のアルバムを発表、その後意見の対立で、ヴォーカルとベースが脱退。

そして、新しいメンバーとして、ヴォーカルにイアン・ギラン、ベースにロジャー・クローヴァーが加入する。これが第二期メンバーでディープ・パープル黄金期と言われるメンバーであった。

その当時、アメリカでは画期的でハードなサウンドを展開したレッド・ツェッペリンが時代の寵児となって人気を博し、ギタリストのリッチ・ブラックモアは、よりハードなロックへの路線を主張するが、クラシックとの融合を図るキーボードのジョン・ロードが猛反対し、幻想的ロック路線としてロイヤルフィルオーケストラとの共演アルバムを発表する。

それでも時代の流れを感じたリッチ・ブラックモアは、ファンの反応を見たいからと、一度だけハードロックのアルバムを作ってみたい、と主張。バンドの主導権を握っていたジョン・ロードも一度だけならと渋々承諾。そこで発売されたのが「イン・ロック」であった。このアルバムはヒットし、バンドは新しい道を歩むことになった。(続く)

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Speed King
「インロック」の最初を飾るのは、疾走感あるこの曲。黒の呪術師のようなイメージを持っていたリッチのギター・パフォーマンス、やはり若い!どうやらアルバム発表当時のTV出演の映像のよう。

Child in Time
叙情的に始まるこの曲は、イアン・ギランのヴォーカルとしての地位を確立した曲。徐々に盛り上がる高揚感はイアンの絶叫シャウトで最高潮となり、それをまとめるようなリッチのクラシカルな早弾きフレーズが印象的、独自の音楽性を表現することに成功した。

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2009年10月24日 (土)

天才、逝く。悲しくて悲しくて・・。とてもやりきれない。加藤和彦さんに。

天才、逝く。
日本のPOPミュージック界の天才が天へと旅だった。

加藤和彦。

フォークの草分け。ザ・フォーク・クルセダーズをつくり、素晴らしい名曲の数々、実験的楽曲、パフォーマンス溢れるステージは革新的だった。

Jロックの先駆け。サディスティック・ミカ・バンドでは、英国ツアーも行って成功した、世界に通用するロックバンドを結成、今でも クラシックロックの定番も多い。

日本のPOPシーンのエポックは彼から始まったと言っても過言ではないくらいの天才だった加藤さん。うつ病に悩み、悩み。そして苦しんで逝ってしまった。本当に悲しいです。
心よりご冥福を祈ります。

「悲しくてやりきれない」
 サトウハチロー作詞 加藤和彦作曲

「あの素晴らしい愛をもう一度」
 北山修:作詞 加藤和彦:作曲

「タイムマシンにおねがい」
 松山猛:作詞 加藤和彦:作曲
サディスティック・ミカ・バンド 
加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏、木村カエラ(ゲスト 奥田民生)

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2009年9月20日 (日)

日本で一番過小評価されてるシンガソングライター「LIVE 絶滅の危機」所ジョージ

日本を代表する音楽評論家 萩原健太に「日本で一番過小評価されてるシンガソングライター」と言わしめた所ジョージ。所さんの唄には「ジャンル」という概念がない。その音楽は「日常」を所さんの鋭い視線で語る「現実」が味わい深いのです。愛だとか別れだとか・・。そういう仮想社会での恋愛ごっこを歌うのではなく、天才所ジョージ流の「遊び」の入った「自己表現」の一つだと捉えると良いのかな。

数多く出してるアルバムの中には、ホント名盤は何枚かあるけど、全く売れていないみたいです。そんな中でもステキなアルバムを。

LIVE 絶滅の危機
かつて、所さんが出演していた『MUSIC HAMMER』の企画で行われたスタジオライブの模様を収録したアルバムです。アルフィーの坂崎幸之助さんが強力にバックアップしてどうにか実現した企画のようでご本人はあまり乗り気ではない様子がこのLIVE盤内のMCでも聴けます。坂崎さんとの弾き語りとバンドの二部構成になっていますが、バンド構成では、やはり当時の共演者 篠原ともえさんもコーラスで参加しています。
やはり聴き所は、ディスク:1 の坂崎さんとの弾き語りですね。

ディスク:1 
1. 組曲 冬の情景2 2. 純情 3. おひたし 4. サンダル 5. 西瓜
6. MEDLEY:拓郎さんのギターです~駅前のワシントン条約
7. 打ち上げ花火 8. 新作童話集 9. 祭りの前 10. まにあわない
11. ポテッ! 12. 泳げたいやき屋のおじさん 13. 後悔してます

ディスク:2 
1. 酒と肴と酒と酒 2. ご自由にどうぞ 3. 雨が空に戻るまでに
4. 意味ないじゃん!2 5. ラクダの商人 6. 生活の基礎
7. 僕の犬 8. 恋の唄 9. 農家の唄 10. 春二番

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なかなかこの音源がyoutubeになくて・・。
春二番を見つけたので、ちょっと付けときます。この曲はメロディーの良いのですが、シュールな歌詞が秀逸。時に2番の「小池さん」のくだりは常人では書けない詞です(*^_^*)

ちなみにこのアルバムには収録されていない曲をしたに付けときますので、所ワールドを堪能してください。全く違うタイプの曲だけど、所さんらしさに溢れています。

ご自由にどうぞ』 名曲です。親心にじーんとします。

 

豪華な金時計』 「こっちが元歌だ」と言って憚らない、独特のシュール世界観もっています。

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2009年8月17日 (月)

ナバホ・ホワイトの8月のラーメンはトマト・ラーメン

久々のナバホラーメン、「8月のラーメンはなに?」って訊くと「トマトラーメンだよ」「うん。じゃ、ソレ」
そして、東京の危機管理の大御所Sさんから預かったパリスマッチのベストCDをマスター・ロバに渡すと、とってもご機嫌になって、これ楽しみだなぁって。
出てきたのはこれ。

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基本的に、トマト好きなアルカポーネな私は、この味好きです。丸ごとなトマトが上にどかんと載って、トマトのペーストがスープ全体を甘酸っぱくまろやかにしています。ぽつんと3本さされたフライドポテトもコンボな感じ。パリスマッチの音を聴きながら、夏を楽しむように食べるのがいいね。

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相変わらずの音楽話で、清志郎の話やらブルースの神様の話とかで堪能しました。ラーメンの奥に見えるフライパンがミッキーマークになっているのも、シャレたマスター・ロバの演出かな。このトマトラーメンはオシャレに食べたいモノですね。ガーリックオイルも付いてくるので、ソレをちょっと添えると味も深くなる一品です。

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