世界遺産を見たい!「萩・津和野と厳島神社2泊3日の旅」3日目(広島編)
2泊3日の旅行もいよいよ最終日。
早いものです、あっという間の3日間。
天気は上々、気分も上々、広島はじゃけんの~。って感じで、すべった朝も目覚めも良い感じです。今日の広島は、飛行機のフライト時間までフリー。ということで、コートホテル広島での朝食バイキングもそこそこに、チェックアウトして市街へと。
目指すは世界遺産の「原爆ドーム」
大きなビルが建ち並ぶ相生通りへと出ると、さっそく路面電車に乗り込む。いったん広島駅まで行って、荷物をロッカーに預けて、再び路面電車に乗り込み、原爆ドーム・平和記念公園へと向かう。
路面電車はかなりの本数が走っていて、停車駅で前の電車が出発するのを待ち状態のも見受けられる。乗客が乗り込んで来るのも待ってあげたりと、暖か味あるのんびりモードだ。
原爆ドーム前で降りると、外壁・鉄骨が剥き出しになったドームが目に飛び込んできた。被爆前は「広島県産業奨励館」として美術展が盛んに行われたところであったそうだ。
「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と記した日記(白血病で亡くなった女子高生)によって取り壊されずに残ったらしい。
間近で見るドームは痛々しく、崩れ落ちそうな壁から飛び出した鉄筋はあてもなくくねるように空をさす。爆心近くで被災したこの建物がこのような形で残ったこと。人間の愚行を後世の時代に残したその姿は、青空の下に眩しいほどだった。
平和記念公園を歩いていく。
原爆死没者慰霊碑を掃除し献花しているおばさん達に遭遇。きっと毎日ここで被災者のために祈りを捧げているのだろう。慰霊碑の向こうに平和を願い続ける「平和の灯」の炎が揺らぎ、さらにその遠くにドームがその姿を見せる。
平和記念資料館には多くの記録と遺品が。その中の一品。原爆被災の際に遺った腕時計。その投下の時間、時計が壊れその時間で止まった。止まったままだ。いつまでもその被災の時間を刻んだままの腕時計。それは時計の「時を刻む」という役目を見事に果たしてもいる。
原爆被爆という事実を重く受け止める、痛みと悲しみを忘れることなく遺すべき文化遺産である。
そうだ、ここは広島じゃなくてヒロシマなのだ。
・・・・・・
さて そろそろ広島を、そしてこの旅を終える時間が近づいてきた。
広島の思い出にお昼はまたまたお好み焼きに挑戦(またかい・・・)。
広島駅に戻って、駅前の「ひろしまお好み物語駅前広場」ビルへと向かう。26のお好み焼き屋さんが集まった屋台村である。エレベータで6Fまで上がるとそこは昭和40年代のレトロな雰囲気が漂う屋台街が再現されている。
そこで「SOZO」という大盛りの大根おろしをの載せることで有名なお好み焼き屋へ。若いお兄さんが店主の元気なお店は手際よくお好み焼きを焼いてくれた。
そばがこぼれるように、その上にネギが山盛りでのっていて。さらのこれでもかという大根おろしのてんこ盛り。このボリューム感。山陽の旅最後を飾る食事にふさわしいかも。
さてお腹を満たした後は、広島駅からリムジンバスで広島空港まで向かい、そこから羽田までのフライトは行きとは異なっての順調。羽田に着いたのは夕方4時前でそこから自宅までは、以前にブログで書いたとおりだよ。
(見習いバスの運転手活躍の「旅行から帰ってきました♪」編を参考されたし!)
毎日この旅行記を読んでくれた奇特な人、もしいたとしたら本当に感謝です。たまに読んでくれた優しい人、ありがたいことです。たまたま読んでくれた人も・・・。
世界遺産に触れた旅、とっても想い出深い旅になりました♪
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