白川郷ライトアップと能登の旅その8(終章~寄り道)
白川郷・能登のバスツアー、最後の最後です。
【世界一長いベンチ=The LongestBench】
能登の志賀町にある増穂浦の海岸線に、世界一長いベンチがある。ホントはツアーコースにはなかったのだが、添乗員の志賀さんの機転で「今日はバレンタインデーですし、海と夕焼けがキレイなベンチで人気のスポットに寄りますね~」って提案があった。輪島の朝市から厳門に向かう途中だ。
国道から沿って増穂浦に降りると駐車場にバスが乗り入れる。「これじゃバスが方向転換できねえぞ、どうすんだよぉ!」老いたバスの運転手が添乗員に食ってかかるのが、前の席に座っている私にも聞こえる。予定外の行動に怒っているようだ。でもその辺りは添乗員の方が上手、うまく言いくるめられていた。
ここ、白浜青松の増穂浦は、鎌倉の由比ヶ浜、紀州の和歌浦と並んで、日本三大小貝の名所だそうです。色とりどりの歌仙貝で有名な増穂浦が一望できるベンチはなんと全長460mもあるそうで、その先までが見えない。1346人も座った記録があるそうで、ギネス認定です。
そのベンチの先の方まで歩くと、岸壁の母の石碑を発見。ここ志賀町は、岸壁の母のモデルになった端野いせさんの生誕の地だそうです。岸壁の母は二葉百合子さんの唄で有名だけど。あまり詳しくは知りませんでした。実在した人の話だったんですね。
夫と娘に早くに死に別れ、養子でもらった息子が満州に出兵、そのまま生死も分からず、6年間引き揚げ船が来る度に舞鶴の岸壁で待ち続けたんですね。その後戦死告知書が発行され、端野さんはその後1981年に死去。
ところが息子は生きていたことがその20年後に分かったそうで。81歳で死ぬまでずっと息子が生きていると信じていたそうですが。なぜ息子は生きていると名乗りでなかったのか分かりませんが、6年間も東京から舞鶴に引き揚げ船が来る度に訪れた努力は戦後間もない交通事情では並大抵じゃなかったんでしょうね。
旅程表
【一日目】
寄居=飛騨高山=白川郷=能登ロイヤルホテル泊
【二日目】
輪島塗漆器工房=輪島朝市=世界一長いベンチ=厳門=(千里浜なぎさドライブウェイ)=寄居
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