人は善人で偽善者でありそして悪人なのだ。「悪人」
若い女性保険外交員・佳乃(満島ひかり)がある夜、峠の山道で死体となって発見される。当初、その夜会う約束をしていたと思われた裕福な大学生・増尾(岡田将生)に疑いがかけられるが、捜査を進めるうちにもう一人の容疑者・土木作業員、清水祐一(妻夫木聡)が真犯人として浮上してくる。
祐一と出会い系で知り合った佳乃は、祐一を自分より格下の労働者とバカにしていた。その態度に切れた祐一は犯行に及んだのだ。ちょうどその頃、地味な日々の繰り返しに閉塞感を持った光代(深津絵里)が、同じように祐一と知り合い、惹かれ始めた祐一に事件を告白される。ショックを受ける光代だが・・。
***********************************
朝日新聞夕刊に連載され、毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞した吉田修一の犯罪ドラマの映画化。九州を舞台に、博多・佐賀・長崎と、地方都市と過疎化した街の抱えた問題も浮き彫りにしつつ、人間の持つ内面的多様性=善・偽善・悪という側面を、痛々しいまでに観る者に問題提起してくる。
殺人を犯した祐一の動機や生活環境の背景が徐々に描かれていくが、相手に例え非があっても「殺人犯=犯人」という罪は揺るぎない事実である。それが大前提ではあるが、彼を「悪人」と呼ぶ事への違和感は拭えない。それは以前、小池栄子と豊川悦司が熱演した「接吻」という映画にも共通するなにかを感じる。
彼らは不器用なほどに真摯・真面目なのだ。そのため調子の良い奴らに適当にあしらわれ、どこか我慢した生活を送っている。でも、どこかで自分を変えるチャンスを求めている。それは白馬の王子の登場を待つかのように。彼らのとった行動を、常識からの見方で否定・批判するのは簡単であり、無難な行動だ。
それは、祐一の祖母を取り囲み「あんたの孫は人を殺したんだ!」「どう考えるんだ」と激しく罵り詰め寄るマスコミや、お菓子をかじりながらワイドショーでこの事件を観て「恐いわねぇ」「出会い系なんてダメよ」ということと同じなのだから。祖母を言葉で痛めつけるマスコミは善ではなく、偽善なのだ。
そう、非難でも同情でも理解でもない。「自分も彼らと同じである」という自分と向き合う勇気なのではないか。自分も当たり前のように、善人であり、偽善者であり、そして悪人でもあるのだ。人を恨んだことのない人はいない。それを行動したかどうかは、この映画のようにちょっとしたボタンの掛け違えなのだ。
***********************************
主演の二人の熱演は素晴らしかった。それにも負けないほどに、マスコミにとり囲まれ目もうつろになり、俯せていく祖母(樹木希林)、「あんた大切な人はおるんね?」と増尾に激情込めて詰め寄る佳乃の父(柄本明)の好演はさすがであり、釘付けになる。ただ祖母の詐欺被害のエピソードは必要なのか?
警察の目を逃れ、灯台でひっそりとかくれる二人にとって、あの数日は、儚くもしかし何物にも代え難い黄金のような日々であったに違いない。それは永く続くことの出来ないと二人とも知ってるからこその刹那的幸せなのだから。
あたかも、尾崎豊の「I love you」の歌詞のように儚くも切なく。
警察に取り囲まれ、祐一が「光代のために」とった行動、そしてそれを理解した光代は、互いに手をさしのべるが思いは届かなかった。
不器用なまでにひたむきな祐一と、無愛想だけど温かい祐一を信じる光代、二人の深い愛を知ることの出来る心に残るシーンだった。
重いが心に残る映画だった。今でも雨の中に響くクラクション音が耳に残る。
悪人 8.5点★★★★☆
| 固定リンク
| トラックバック (0)
最近のコメント