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2011年4月の1件の記事

2011年4月 2日 (土)

福島県いわき市「スパリゾートハワイアンズ」の奇跡

震災当日、休暇をとって家族旅行中だったwebSPAの記者が
福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで被災。
そこで見た、「スパリゾートハワイアンズ」スタッフの
「プロフェッショナルな姿勢」に感動したという記事です。
本当のCS、プロのサービスというものを教えられた気がします。

(WebSPAより転用させていただきます。転用元は一番下に記載します)

『3月11日。運命の日。
記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。
久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、
無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。
知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での
悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、
今にして思う。それも、特上の。

 まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて
生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、
寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。
しかも、食料の備蓄があり、東京に帰ることになる日曜日の朝までの計5食、
すべて十分な量を提供してくれた。しかも、ビュッフェ形式で。
これは、2歳児を抱える家族としては、とてもありがたいことだった。

 震災当日はバスが動けないことが判明したため、被災者たちは大会議室、
あるいはロビーや廊下で雑魚寝となった。眠れぬ夜が明けて、土曜日。
記者は、とある従業員にふと、聞いてみた。

「このホテルのほかは、どんな状況ですか?」

 すると、彼は表情を強張らせて、静かに答えた。

「はっきり申しまして、このホテル以外は全滅です」

 聞けば、周囲一帯、すべてライフラインが止まっているとのこと。
そうか、記者たちはラッキーだったんだな、と思った数秒後、気付いた。

......じゃあ、彼らの家族は一体どうなんだ? 親戚は? 友人や恋人は?

 恥ずかしながら、記者はこの時まで、本当にこの瞬間まで、彼らも
"被災者"であることを忘れていたのだ。
それも、我々よりもはるかに厳しい環境下にあるのだ。
恐らく、これだけ震源地に近くて、家族全員無事というのは考えにくい。
連絡が取れない、友人、知人が山ほどいるはずだ。
そして、何よりも自分自身が1秒でも早く、帰りたい場所があるだろう。
しかし、彼らはそんなことを態度にはまったく出さず、
自らの職務をまっとうした。
その行為は、我々の体ではなく、心を救ってくれた。

 トドメは日曜日だ。
朝6時に、起床のアナウンスが流れ、朝食が始まった。
ひと段落したところで、支配人が拡声器を片手に、静かに話し始める。

「本日、皆さんを東京駅までお送りできることがわかりました」

 満場の拍手が沸き起こる。その中で、さらに支配人は続ける。

「昨日、弊社の従業員を実際に、東京駅に向かわせたところ、
"走行可能"という判断を下しました」

 その瞬間、巨大な拍手が会場を包んだ。

常識では考えられないほどの大きな余震が続くなか、
まったく安全が担保されない道を、被災した「お客様」のために走る。
それは、命がけの行為だ。拍手で手が痛い。
ジンジンと響き、熱くなる手のひらを見つめ、記者はこのとき、
拍手には大小のみならず、軽重があることを知った。

 それから、12時間を超える長旅を経て、記者は今、東京で原稿を書いている。
そして思う。

絶望の淵にある人を、真に救うのは「情報」でも「言葉」でも、
ましてや「法律」や「ルール」などではない。
「行為」だ。
何をすべきかを論じているだけでは、誰一人救えないのだ。

我が身の非力さを、これほど嘆いたことはない。

 いつか、スパリゾートハワイアンズが営業を再開したら、
また家族を連れて、遊びに行かせてもらうつもりでいる。
それも、できれば毎年。
そして、その都度、息子にこう言うつもりだ。
「このホテルで働いている人は、みんなお前の命の恩人なんだぞ」と。
そう笑って言える将来がきっと来ると、記者は強く信じている。

 彼らの、1日でも早い営業再開を心より、祈りたい。』

引用元 http://spa.fusosha.co.jp/feature/list00001100.php

とっても良い話だと思い、ここに転用させてもらいました。

福島は負けない! 福島はこんなことに絶対負けない!!

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