漱石の愛した画家ターナーは光と水を鮮やかな黄色で描く~世界の名画
「あの松を見たまえ、幹がまっすぐで、上が傘のように
開いてターナーの絵にありそうだね」
と赤シャツが野だに言うと、野だ(野だいこ)は
「全くターナーですね。
どうもあの曲がりぐあいったらありませんね。
ターナーそっくりですよ。」と得意顔である。
ターナーとはなんのことだか知らないが、聞かないでも
困らないことだから黙っていた。
(夏目漱石 「坊ちゃん」より)
「チャイルド・ハロルドの巡礼」1832年 油彩
釣りに来た坊ちゃんと教頭の赤シャツ、美術教師の野だいこの会話の中で、西洋かぶれの知ったかぶりににうんざりする坊ちゃんを描いた場面で登場したターナー。この時に出てきたターナーの絵は上の「チャイルド・ハロルドの巡礼」だと言われている。
坊ちゃんの小説の中では、このあと赤シャツが勝手にこの島を「ターナー島」と命名してしまうが、たぶんこの島のことを書いたのでは?として、今では松山にある実在の島の愛称を「ターナー島」と読んで観光名所になっているらしい。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
彼は18世紀末~19世紀のイギリスを代表する国民的画家であり、西洋絵画史における最初の風景画家でもある。
1775年にロンドンの床屋の息子として生まれたターナーは、精神疾患の母親が彼の面倒を見られず、特異な幼少期を過ごした影響か、幼い頃より一人で遊ぶ機会が多かったと思われる。そんな環境も想像でき、そんな中で彼の描く絵も上達したのだろう。その画力を高く評価した父親が、床屋の中に絵を飾って、それが噂を呼んで若くしてイギリス画壇に登場、以来英国美術界を引っ張っていくことになる。
「戦艦テレメール号」1839年 油彩
数多くの戦績を残した古英雄テレメール号の美しい姿と、それを
曳いていく新しくも実用的な動力船の対比が情緒を醸し出している。
ターナーの絵は自然の「気の流れ」とでもいうのか。水や光を描くことで全体にもやっとした印象も受ける。そしてその「気の流れ」を黄色を多用して描いたのもターナーの特色のようです。ただ作品の傾向も年齢と共に変化し、晩年はもう何の絵だか分からないような作品が多くなり、自分はあまり好きではない。
自分の好きなのは、旅に目覚め、各国を旅しながら描いた作品。そして油絵ではなく水彩画でも油絵のような完成度の高い絵を描いていたということ。
ターナーの描いた絵はどこか寂しくそして落日の雰囲気がある。それは幼少時の想いがどこかに生き続けていたのだろうか。イギリス最高の画家は、その評価の影にどこかもの悲しい。
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